自分とぷよ〜大会編〜

強い常連たちの中でも、飛び抜けてヤバイ人が一人いた。
それがぷよ名人、三須健太郎だった。
それまでのぷよの考え方を根底から覆す「不定形」を生み出し、
その独特の感性で誰にも真似できない世界をフィールドに創っていく。
僕はその世界にすっかり魅了されてしまった。


それから僕の修行が始まった。
序盤3手をパターンに分け、ミスケンの積みをひたすら真似る。
土曜会で積みを学び、平日の電車内ゲームボーイ対戦で試す日々が続いた。
今思えば僕のぷよの基盤が作られたのはこの頃であった。


こうして着実に力をつけていった僕は、次のステップに進もうと考えた。すなわち大会への参加である。
当時はAJPA(全日本ぷよ協会)が健在であり、各地で大会が行われていた。
まったく知らない人たちの中に一人で飛び込むのはかなり緊張したが、自分の力を試したいという欲求がそれを上回った。


初めて参加したのは99年の千葉の大会。
最初は1回戦で負けるだろうと思っていたが、大会が始まってふと気付く。
「大したことないな…」
普段アイランドで対戦していた僕は、知らない間に一般的なぷよらーのレベルを大きく超える力を身につけていたらしい。
結果として初級者大会で優勝。一般大会でも準優勝という成績を残すことができた。
このことはかなりの自信になり、僕はますますぷよが好きになっていった。


その後もいくつかの大会に参加し、2001年のぷよってねっと神奈川大会では優勝、
神奈川代表になることができた(ファイナルには行かなかったが)
いずれは昇段戦に出たいと思っていたが、2級になった時点でAJPAが消滅してしまいその夢は叶わなかった。
そして僕は大学受験のためぷよから離れることになる…
                                             次回につづく