自分とぷよ〜復帰から現在編〜

あけましておめでとうございます!


さて、結構長い間続いた思い出話も今回がラストです。
次回からはちゃんとぷよのことを書きます。
今年はできるだけ更新頻度を上げていこうと思いますので、どうぞ温かくお見守りください。



2003年春−

大学に合格した僕は一人暮らしを始め、サークルやバイトなどのリア充(?)生活を送るようになっていった。
たまにMAMEぷよなどをやってはいたが、対戦会からは足が遠のく一方…(年に数回程度)
腕を維持するのに精一杯で、上達意欲などは全くない日々だった。
振り返ってみると、もっとぷよに力を入れてればよかったと思う。


3年後−

就職活動を機に実家に戻った僕は、再びぷよ界へと戻ることとなる。
学生最後の1年、何か熱くなれるものが欲しかったのかもしれない。
急速に台頭してきた若手プレイヤー達にも刺激を受け、僕はぷよにのめり込んでいった。


その後は対戦会や大会に積極的に参加したり、いろいろな人と100本勝負をしたりしつつ力をつけ、現在に至る。
                                        おわり



自分とぷよとの関係は以上のような感じです。
今後はプレイヤーとしてはもちろんですが、それ以外の部分でもぷよ界に貢献していきたいと思っています。
このブログもその一環。伸び悩んでる中〜上級者の手助けになれればいいなと思います。
それでは今年もよろしくお願いします。

自分とぷよ〜大会編〜

強い常連たちの中でも、飛び抜けてヤバイ人が一人いた。
それがぷよ名人、三須健太郎だった。
それまでのぷよの考え方を根底から覆す「不定形」を生み出し、
その独特の感性で誰にも真似できない世界をフィールドに創っていく。
僕はその世界にすっかり魅了されてしまった。


それから僕の修行が始まった。
序盤3手をパターンに分け、ミスケンの積みをひたすら真似る。
土曜会で積みを学び、平日の電車内ゲームボーイ対戦で試す日々が続いた。
今思えば僕のぷよの基盤が作られたのはこの頃であった。


こうして着実に力をつけていった僕は、次のステップに進もうと考えた。すなわち大会への参加である。
当時はAJPA(全日本ぷよ協会)が健在であり、各地で大会が行われていた。
まったく知らない人たちの中に一人で飛び込むのはかなり緊張したが、自分の力を試したいという欲求がそれを上回った。


初めて参加したのは99年の千葉の大会。
最初は1回戦で負けるだろうと思っていたが、大会が始まってふと気付く。
「大したことないな…」
普段アイランドで対戦していた僕は、知らない間に一般的なぷよらーのレベルを大きく超える力を身につけていたらしい。
結果として初級者大会で優勝。一般大会でも準優勝という成績を残すことができた。
このことはかなりの自信になり、僕はますますぷよが好きになっていった。


その後もいくつかの大会に参加し、2001年のぷよってねっと神奈川大会では優勝、
神奈川代表になることができた(ファイナルには行かなかったが)
いずれは昇段戦に出たいと思っていたが、2級になった時点でAJPAが消滅してしまいその夢は叶わなかった。
そして僕は大学受験のためぷよから離れることになる…
                                             次回につづく

自分とぷよ〜アイランド編〜

セブンアイランド…それがそのゲームセンターの名前だった。
2月の学校帰り、友人2人と散々迷った末にたどり着く。
薄暗い店内の奥に鎮座する、初めて見るぷよ通対戦台。
それだけで僕はもうワクワクしていた。夢じゃない。本当にあったんだ。

が、あいにく誰もいなかったので友人と対戦をして待つことに。
そこにやってきたのが忘れもしない、HMEさん。
当時ナミキマスターとして名を馳せていた彼。
もちろんそんなことを知らない僕は、無謀にも戦いを挑んだ。
まず驚いたのが操作テクニック。速い。そして正確だ。
そして積み込みも特殊だった(サブマリン)
こちらも家庭用で鍛えた連鎖で対抗するも完敗。
悔しいとは思ったが、それよりも僕は嬉しくて仕方なかった。
これが本物のぷよらーか。
その日からしばらく彼のことを勝手に師匠と呼んでいたのは秘密だw


こうして求める場所にたどり着いた僕は毎週のようにアイランドに通った。
当然初めは全く勝てず、乱入してもすぐに席を立つ日々を送ったが、やめようという気は全く起こらなかった。
そんなときに現れたのが、ひときわ異彩を放つ「あの男」だった…


                                      次回に続く

自分とぷよ〜インターネット編〜

死闘の末、M君へのリベンジを果たした僕。
しかしその他にも強い友人が何人もおり、彼らと対戦する中で僕はさらなる強さを求めるようになっていった。


そんな折、ちょうど我が家に導入されたのがインターネット。
最初はあまり興味なかったのだが、ある時ぷよぷよのホームページを見てみようと思いたち、サイトをいろいろチェックするようになっていった。


当時は動画などはなかったものの、ぷよの攻略サイトは豊富にあり、
初級者の僕にはとても刺激的だった。
斉藤SP、GTR、ホーリーカウンターetc…見たこともない積みのオンパレード。
また、つぶしや催促などの戦術理論にも初めて触れ、見るものすべてが新鮮だった。
僕はそれらを一つ一つ練習しながら腕を磨いていった。
幸か不幸か、中高一貫校に通っていたため、受験を気にすることなくぷよに打ち込むことができたw


そして僕にとって運命の時期、中3の冬がやってきた。
僕は平日は通学電車内でゲームボーイ対戦、休日は誰かの家で対戦というスタイルをとっていたのだが、仲間内で敵なしの強さを持つと、もっと強い人と対戦してみたいという思いが強くなった。


当時はネットぷよなど未発達な時代。未知の強豪との対戦というと、真っ先に思いつくのがゲームセンターである。

そう思った僕はぷよの置いてある近場のゲーセンを探そうと、
ぷよぷよ 横浜」で検索をしてみた。そう、そこに表示された場所こそ…

                                次回につづく

自分とぷよ〜出会い編〜

今回からしばらくは自分とぷよについての思い出を語っていこうと思います。


僕とぷよぷよの出会いは小学校3年の時にさかのぼる。近所のデパートのおもちゃ屋で何気なく手に取ったゲーム、それがSFCの「すーぱーぷよぷよ」だった。なんとなく惹かれるものを感じ購入。その時はまさか14年後もぷよを続けているとは夢にも思わなかったw


とりあえず説明書に載っていた「3-1階段積み」の練習をひたすらやり、しばらくすると下押しっぱなしで階段5連鎖を組めるようになった。
しかし、すぐ飽きてしまった。というのも当時周りにはぷよのできる友達がいなかったため、ひたすらひとぷよをやっており、当然CPU相手には圧勝。「もうこのゲームは極めた」そう思い、だんだんやらなくなっていった。他のゲーム(ドラクエなど)に夢中になり、ぷよは押入れの中に眠ることとなった。


時は流れ…中学2年生のとき。友人の家で何人かでゲームしていたのだが、M君がさりげなくあるゲームを取り出した。それが僕の運命を決定づけるソフト「ぷよぷよ通決定盤」だった。

「俺ぷよ得意だよ」そう言って対戦を申し出る僕。負けるはずないと思っていた。もうぷよぷよは極めている。
対戦開始。得意げに速攻5連鎖を打つ僕。すると相手が連鎖を発動してきた。


なんだこの積み方は!?階段積みの上ににょっきりと棒が生えている!
M君が使っていた積みはこのようなものだった。
当時、折り返しや後打ち有利などという言葉を全く知らない僕。
5連鎖打つ→返される、5連鎖打つ→返される…  の繰り返し。全く勝てない。


ショックではあったが、これで僕の負けず嫌い根性に火がついてしまった。
気がついたら僕は言っていた「そのソフト貸してくんない?」


さて、ソフトを借りたものの、何から始めればいいのやら。とにかくあの不思議な積み方の謎を解かなければ。
そこで発見したのが、田中さんと松金さんによる「ハイテク攻略法」だった。
衝撃だった。と同時に感動すら覚えた。こんな強い人がいるのか。


それからは寝ても覚めても必死に折り返しの練習。通学中、授業中も連鎖の形を紙に書いて覚えようとした。


数週間後折り返しを習得した僕は、M君へのリベンジに臨んだ…                                        
                                     次回につづく

ジャングルの死合結果

遅くなりました;

①HIRO ○ 100-58 ● SouthXatz
②HIRO ○ 50-29 ● お魚屋
③HIRO ○ 100-76 ● サトシ   (敬称略)


①:SouthXatzさんはゴリゴリ押してくるタイプではなく、相手に丁寧に合わせてくるプレイヤー。自分としては不意を衝く攻めや強引なつぶしを打ってこない分、ある意味戦いやすかったです。「中盤での粘りあい」は得意分野なので、その土俵では自分に分があったのかな…という感じ。ただ、相手の調子がかなり悪かったので参考記録といったところでしょうか。


②:前半は快調に飛ばすものの、終盤で連敗するといういつものパターン。
不定形を狙いすぎて、消費容量(?)を自フィールドに回しすぎましたね。終盤は安定を重視したほうが良さそうです。お魚屋さんは基本的な連鎖力はあるので、中盤を厚くすればもっと伸びると思いました。


③:関西期待の若手、サトシ君との一戦。序盤は調子良かったものの、中盤以降は完全に沈んでしまいました。②と同じく、形を狙いすぎて凝視・副砲対応が疎かになったり、後打ち時に上手く伸ばせずというワンパターンな負けが多かった気がします。
「こちらのやり方が間違いだと相手に証明されない限り、それをやり続ける」という“勝負の鉄則”を完全に忘れてしまってましたね。猛省です。



今後の課題

不定形の定形化  アドリブだとどうしても凝視が落ちるので、序盤の積みを考え直そう(無意識に組める形を増やそう)と思います。シミュレーターとか使って。

・戦術面  正直、戦術面に関しては今までずっと適当にやってきたんですが、そろそろ本腰入れないといけないようです。とりあえず「ここで相手がこうだったら自分はこうする」というような場合分けをしていこうかなと。もともと持ってる能力自体はかなり高いと思ってるんで、それを活かしていけるよう頑張ります。



最後になりましたが、対戦してくれた方々ありがとうございました。また戦りましょう。